秋田市寺内で生まれ育ち将軍野中学校で運命の出会いを果たす。
小学生の時はちょっと離れたところで祭りやってるな~、祭りの町内の子(クラスに1~3人)は学校休めていいな~、ぐらいにしか思っていなかったものが中学進学後に2校の小学校が集約されたため祭りエリアの友人がドッと増える。
実は中学の時は的屋イベントくらいにしか思っておらず、高校時代に曳子参加したことでそこからガッツリのめり込むことに。
毎年7月20日、21日が待ち遠しい。
祭りが無いと生きている感じがしない。
将軍野三区、本山町、若松町、新柳町といろいろな町内にお世話になり最終的には居心地の良さから新城町に寄り付きいつの間にか正会員に。
警護、総務、会計と、若い男性の役割は毎年いろいろと変わりながら一通りこなしつつ、いつの間にか曳山の土台を組み立てたり人形を飾り付けたりする準備の方が面白いまであるなと染まっていく。
素人ながら等身大の裸人形を2体も作って祭り界隈に激震を走らせた土崎祭りマニアの某友人の影響も結構大きい。
人形、曳山、ツゲ、見返し、しぶき、祭囃子、油まみれの綱、汗染みでタスキの色移りした浴衣、どれをとっても無くてはならない大切な祭り。
土崎の祭りはワッパ(タイヤ)も車軸も木で組まれてるので全然進まないけど、そのワッパにかける油と木の焦げる独特のいいにおいが大好き。
人が足りないと曳山進まねーし、予算たりねーし、そもそも人多い方が楽しいし、祭り参加者を増やす為にやっていたライフワークである布教活動と勧誘活動が事業になる可能性を感じて祭りバカは加速していく。